ある日本企業における社風変革のための苦肉の策“一社二制度”の末路
ある大手日本メーカーでの話である。
その会社では、イノベーションを経営課題に掲げていた。社外に向けても、イノベーションを成長の原動力にするのだと、しきりにアピールを繰り返していた。既存の事業に閉塞感が漂っていたのだろう。伝統的な日本企業にありがちな状況だ。
が、一向に成果は現れなかった。数年経っても、イノベーションのイの字も、描くことが出来ずにいた。やがて、諦めムードが漂い始める。イノベーションのための取り組みはおろか、イノベーションという言葉そのものも、あまり語られることはなくなっていった。
それもそのはずで、その企業では、昔からの古い社風を受け継いでいたために、イノベーションのような変革を不得手としていたのだ。そのことに、経営者たちも遅ればせながら気づくことになる。そこで、ある施策を打ち出した。会社本体から切り離した、イノベーション拠点なるものを設けて、そこに新しい人材を集めようとしたのだ。
要するに、母屋は古くて直しようがないから、別に新居を構えて、そこに若い者たちを呼び込もうという取り組みだ。理屈の上では、そのプランも悪くはない。どんな形であれ、新しい社内文化が育っていけば、いずれはイノベーションの実現も夢ではなかった。
しかし、その新居が、その後どうなったかという?
一度はそこに集い、住むことにしてくれた若者たちも、しばらくしたら出ていってしまったそうだ。ほどんど、跡形もなく。おそらく、居心地が悪かったのだろう。かくして、その企業におけるイノベーション活動は、そこで完全に潰えたのだ。
聞くところによると、その新居には、母屋から管理人(管理職のこと)が送り込まれていたそうだ。しかも、その人は、幹部クラスだったらしい。つまり、形式的には母屋から切り離したつもりでも、マネージメントは同じ仕組みを導入してしまったのだ。それでは、言うまでもなく本末転倒だ。
たぶん、管理を徹底させずにはいられなかったのだろう。自由を与えすぎると、何をされるのか分からないから。で、結果的に、自由を奪ったことが致命傷となった。
ほとんど笑い話だが、うっかりしていると、それはどこの会社でも起こりえるということだけは、肝に銘じておいた方がよさそうだ。